金字塔とはこの作品のためにある言葉だ。『巨人の星』もそうであるように、梶原一騎にとってスポーツとは、苦難を根性で乗り越えて成果をつかむとか、心身の健康を手に入れるとか、そんな実利とは無縁の、命を懸けて殴り合うことでしか得られない深いコミュニケーションと圧倒的なスリルの体験だ。そこにちばてつやの「生活」に対する細やかで暖かい視線が合わさることで、奇跡的なバランスの作品が成立した。
レビューの一覧
©小山ゆう/小学館
日本人として初めて100メートル走で世界記録を狙えるレベルに達した主人公が入っていく「神の領域」の描写によって、読者に強烈な印象を残した異色作。「神の領域」に入ると五感が通常とは全く違うレベルに研ぎ澄まされ、選手を圧倒的な快感に包み込む。スポーツ選手が極限的な集中力を発揮した時に入ると言われる「ゾーン」の状態のようでもあり、また、選手の肉体が破綻する寸前の危険な状況で生まれる脳内麻薬的な幻覚の可能性もあるものとして、「神の領域」は描かれている。
人間の身体とその運動の仕組みをめぐるスポーツ科学の進展は目覚ましいが、その知見をふんだんに取り入れ、サッカーの練習や技術をめぐる常識、通説を次々覆していくこの作品には、最良の学習マンガの面白さが含まれている。その説得力は、ただ言葉で最新の知見を説明するだけでなく、その知見を実践できている選手とできていない選手の体の使い方の違いを的確に描いて見せる大武の表現力に基づいている。
かつて「根性」の一言に集約されていたスポーツマンガにおける精神論は、メンタルトレーニングに関するスポーツ科学の知見によって、具体的な裏付けのある方法論へと更新された。その代表ともいえるこの作品は、登場人物の心理描写においてもずば抜けた繊細さを見せる。手を握ることで三橋のことを深く理解する阿部の描写に見られるように、そこには、心と身体を密接不可分のものととらえる認識がある。
競技かるたはスポーツだ。このことを広く認知させたのが、この作品の大きな功績の一つだろう。実際、その練習における肉体的な鍛錬、試合における、五感を研ぎ澄ませ、全身を使って最速で札を取りに行くアクション、その息詰まる熱戦を描くスタイルは、まぎれもなくスポーツマンガだ。そこに百人一首の歌の世界が持つ様々な恋のイメージが重ね合わされることで、この作品は熱血スポーツマンガであることと、恋愛少女マンガであることを、見事に両立させている。
©渡辺航(秋田書店)2008
千葉から秋葉原まで自転車で難なく通う脚力を持つオタク少年が、自転車ロードレースに出会い、個性的なチームメートやライバルとの交流を通じて、その才能を開花させていく。渡辺航の描線は、自転車を、器械でありながらまた同時に選手の身体の延長でもあるものとして、圧倒的な躍動感をもって描き出す。リアリティが失われてしまいかねないギリギリのラインまで針を振り切っていく誇張表現が、読者を熱狂させてくれる。
©︎I.T.PLANNING,INC.
病気による障害、事故による障害、そして障害を負わせてしまったことによる重い責任。主人公三人が向き合う、三者三様のリアル。戸川ひとりがスーパーヒーローなのではない。高橋ひとりが絶望に向き合っているのではない。野宮ひとりが罪の意識を抱えているのではない。『SLAM DUNK』の井上雄彦が、車椅子バスケットボールと出会う若者たちを通して描いているのは、この世界の誰もが、自分のリアルと向き合う主人公なのだという思想だ。